16ビット戦争の勝者「スーパーファミコン」

スーパーファミコン ゲーム機本体
アイキャッチ画像の出典:Evan-Amos, Public domain, via Wikimedia Commons

1990年11月21日。待望のスーパーファミコン(以下、スーファミ)が遂に発売されました。価格は25,000円と前世代のファミリーコンピュータ(以下、ファミコン)から高価になったものの、一気に表現力が跳ね上がり、画面は色鮮やか、音はリッチ、背景はグイグイと回転・拡大縮小……。“Mode 7”がもたらす新たな表現にワクワクした人は多かったと思います。

ローンチタイトルは『スーパーマリオワールド』と『F-ZERO』の2本という少数精鋭。やがて『ファイナルファンタジー4』、『ドラゴンクエスト5』などの定番タイトルの続編発売、『ストリートファイターII』の家庭用大ヒットを合図に、先行のPCエンジン*、メガドライブとの差を一気に縮め、気づけば16ビット戦争はスーファミが主役となりました。その勝因はどこにあったのでしょうか。技術・競合・流通・ソフト戦略の4つの観点から当時を振り返ります。

*) 厳密にはPCエンジンはCPU基準では8ビット機/グラフィック周りは16ビット相当のハイブリッド

スーファミ基本情報

項目内容
発売日(日本)1990年11月21日
発売時価格25,000円(のちに1996年8月14日から希望小売価格9,800円へ改定)
CPURicoh 5A22(65C816系)約3.58MHz
表示BG0–7のモード選択、最大128スプライト、特殊効果:拡大縮小回転(Mode 7)ほか
音源ソニー製S-SMP(SPC700)+S-DSP、8ch PCM
メディアROMカセット(タイトルにより拡張チップ内蔵)
国内ローンチタイトル『スーパーマリオワールド』『F-ZERO』
世界累計販売ハード4,910万台/ソフト3億7,906万本(任天堂公表)

出典:スーパーファミコン(日本語版Wikipediaの仕様・価格・発売日・ローンチ/価格改定の記述)、および任天堂IR「ゲーム専用機販売実績」。 Wikipedia 任天堂ホームページ

16ビット戦争の背景──PCエンジン、メガドライブ、そして後発の任天堂

80年代末、日本の据置機はNEC&ハドソン連合のPCエンジン(1987年/24,800円)とセガのメガドライブ(1988年/21,000円)が先行し、アーケード直輸入のスピード&色数でファミコンから一歩抜け出しつつありました。筆者も友人所有のPCエンジンをプレイしたときにファミコンとの差に驚き、メガドライブを購入して『戦斧』をプレイしたときに感動した記憶があります。

任天堂は満を持して1990年に後発で参入。つまりスーファミは「性能競争の真っ只中へ、遅れて飛び込む」構図でした。後発でも勝てたのは、単純なスペックの勝ち負けではなく、ファミコン時代に築き上げた圧倒的な知名度とサードパーティーの支持、ハード×ソフト×流通を束ねた“総合力”が桁違いだったからでした。

海外まで視野を広げると、メガドライブ(GENESIS)が北米で猛威をふるい、最終的にはSNES(Super Nintendo Entertainment Systemの略:スーファミの海外名)と互角の市場を作りました。つまり“世界”では一方的な独走ではない――この事実は、スーファミの強みが「日本での支配力」と「自社/他社大型IPの厚み」にあったことを示唆しています。

技術の核──Mode 7と拡張チップが生んだ“見たことない”体験

スーファミの象徴が、背景1面を自由に拡大縮小・回転できる表示モード“Mode 7”です。『F-ZERO』の疾走感や『パイロットウイングス』の疑似3D感は、まさにこの仕組みを“見せる”ための名刺代わりでした。Mode 7自体は背景を幾何変換する2D機能ですが、演出次第で3Dっぽさを感じさせるのが面白いところです。

そしてスーファミの真骨頂は「必要に応じてソフト側に頭脳を足す」発想です。カートリッジ内にコプロセッサを積み、足りない計算力をゲームごとに増設してしまう。たとえば『スーパーマリオカート』や『パイロットウイングス』はDSP-1で幾何演算を肩代わり。『スターフォックス』はスーパーFXでポリゴン描画を加え、『星のカービィ スーパーデラックス』はSA-1で処理を底上げしました。ハードを買い替えず、ソフト側で“拡張”できる柔らかい設計が、プラットフォームの寿命を伸ばしました。

ロンチとキラータイトル──“最小限で最大効果”の見せ方

国内ロンチは『スーパーマリオワールド』と『F-ZERO』の2本のみ。今の感覚だと少ないですが、完成度とMode 7を活かしたインパクトで「新たなゲーム体験」で一点突破するやり方でした。ちょっと遅れて『パイロットウイングス』が追随し、Mode 7の見せ方をさらに広げます。

そして決定打は1992年の『ストリートファイターII』。アーケードで社会現象化した“対戦”を家庭に持ち込み、国内約288万本、世界630万本というメガヒットで「家庭用=対戦の場」を定着させました。この一本がハードの稼働時間を爆増させ、“遊ばれ方の変化”を作ったのは、間違いなくスーファミ勝利の大きな一因でした。もちろん、他にもファイナルファンタジー、ドラゴンクエストシリーズの続編など、地道なプラットフォーム固めも大きかったと思います。

競合の強み・弱み──PCエンジンとメガドライブの“惜しさ”

PCエンジンはCD-ROMによる大容量&ボイス・アニメ表現で先行し、メガドライブは16ビットCPUによるキビキビした動きと北米での攻勢が強みでした。対してスーファミはCPU単体のクロックだけ見れば遅め。しかし、色数・エフェクト・音源の総合力、そして前章の拡張チップ戦略で“体感の豊かさ”を底上げし、ソフト側の見せ方でリードを奪います。この辺りは現代の任天堂にも通じるところがあり、単純なスペック勝負ではなく、全体的なゲーム体験で勝負する“らしい戦い方”は当時から健在でした。結果、日本ではRPGやアクションの大作供給で“遊びの主戦場”を握った、というのが実感です。

価格・流通・在庫──ハードは引き、ソフトで勝つ

発売時の25,000円は当時として標準的なミドルレンジの価格感。一方で任天堂はファミコン用ACアダプタ・AVケーブルの共用を打ち出し、同梱物を絞ることでコストを抑えています。普及後期には1996年に希望小売価格を9,800円へ改定し、次世代機期まで“入口のハードル”を下げて母数をさらに広げました。初期出荷・年度ごとの累計推移も堅調で、発売当初は在庫不足に陥ったものの、全体的に適切な在庫で推移していた印象です。

カートリッジの製造・供給を任天堂が握るモデルは、品質担保と同時に収益の安定にも寄与しました。ハイコストと言われたROMでも、長寿命の定番タイトル(マリオ、カービィ、任天堂IP)と、後述の他社大型IPの安定供給があり、1万円を超えるようなタイトルでも大ヒットを継続していました。

サードの厚み──DQ/FFの主戦場が動いた意味

『ドラゴンクエスト5』(1992年)や『ファイナルファンタジー6』(1994年)といった超大型RPGが“スーファミで出る”こと自体が、ユーザーの機種選好を決定づけました。RPGは一本のプレイ時間が長く、口コミも起きやすいジャンル。筆者も今のようにインターネットのない時代、学校で攻略方法などを教え合っていました。加えて任天堂のファースト(マリオ、カービィ)と、他社のアクション・スポーツが間を埋めることで、ジャンルの“隙間”が少ないソフト構成になっていきます。

この時期の任天堂は、ハードの見せ方(Mode 7/音源)とソフトの開発環境・サポートの両輪で“名作が生まれやすい条件”を整えていました。結果、ユーザー側の“次もスーファミで”という惰性ではなく、積極的な選好が積み上がっていきます。

コントローラ設計と遊びの拡張──L/Rと“同時代の標準”の誕生

スーファミコントローラは、十字+A/B/X/Y+L/Rという現在にも続くボタン配置の原型を確立しました。RPGやアクションでのショートカット、レースの視点切替、格闘ゲームの強弱ボタン割り当てなど、遊びの設計に与えた影響は絶大でした。ハードが“どんな操作を想定しているか”を端的に示し、ゲームデザインの標準化にも効いたポイントでした。

周辺機器でも『スーパーゲームボーイ』や衛星データ放送の『サテラビュー』といった“テレビの前の体験拡張”が試みられ、プラットフォームの寿命を引き伸ばす施策が継続されました。ビジネス的に成功したとは言い難い施策でしたが、当時から任天堂は業界の慣習を追いかけず、自ら考え、新しい試みを提案する姿勢に好感が持てました。

ビジネスの帰結──数字が語る“遊ばれた度合い”

最終的にスーファミは、ハード4,910万台/ソフト3億7,906万本という累計(任天堂公表)を残しました。ハード1台あたりのソフト本数は概算で約7.7本。単に売れたではなく“買ったら長く遊ばれた”ことを示す数字です。ここに『ストII』や『マリオカート』のような対戦・パーティ系の“繰り返し遊ぶ導線”が効いています。

国内市場を決定づけたのは、DQ/FF・任天堂IP・格闘/レースの三本柱。そして、ハード後期の価格改定と、拡張チップを梃子にした“ソフト側からの進化”。後発参入でも勝てたのは、スペックの一発勝負ではなく、遊ばれ方の設計×供給の厚み×在庫運用という地味だけど効く三点セットを回し切ったからだと考えています。

参考(タイトル別の象徴的トピック)

  • 『スーパーマリオワールド』:世界累計約2,061万本。スーファミ最大のキラー。
  • 『スーパーマリオカート』:世界876万本/国内382万本。DSP-1搭載でMode 7活用の金字塔。
  • 『F-ZERO』:国内ロンチを飾ったMode 7のショーケース。
  • 『ストリートファイターII』:国内約288万/世界630万の家庭用メガヒットで対戦文化を家庭に定着。
  • 『スターフォックス』:カートリッジ内“スーパーFX”を使ってゴリ押しでポリゴン表現。
  • 『星のカービィ スーパーデラックス』:SA-1で処理強化、演出の幅を広げた代表例。

出典:Wikipedia

結論:勝因は「総合設計」でした

スーファミが16ビット戦争で主役たりえたのは、

  1. Mode 7+音源+拡張チップの“体感を上げる”設計、
  2. DQ/FFや任天堂IPを中心に“遊び続けられる棚”を作った供給力、
  3. 価格改定や周辺機器を含む“寿命の伸ばし方”、
    この三つを長期で回したからだと考えています。言い換えると、性能の一発勝負ではなく「遊ばれ方のデザイン」で勝った、ということですね。

付録:出典(日本語のみ)

本文中に随時記載しましたが、主要な一次・公的情報は以下の通りです。

  • 任天堂「ゲーム専用機販売実績」:ハード/ソフト累計。 任天堂ホームページ
  • 日本語版Wikipedia「スーパーファミコン」:発売日・仕様・価格改定・周辺機器・沿革の基礎情報。 Wikipedia
  • ファミ通.comの“今日は何の日?”ほか:ロンチ・販売本数の補足。 ファミ通.com
  • カプコンIRデータ:SFC版『ストリートファイターII』630万本。 カプコン
  • 主要タイトル個別ページ(日本語版Wikipedia・公式系Wiki):DSP/FX/SA-1搭載など技術トピック。

おまけ:で、筆者はスーファミをどう遊んだの?

筆者が本体を手に入れたのは、発売(1990年11月21日)から数か月たった年明けごろでした。なぜ時期を覚えているかというと、12月下旬に発売された『パイロットウイングス』が店頭に並んでいたからです。どちらかと言えばマイナーなこのタイトルを強く覚えている理由は、別記事でじっくり書きます。とにかく当時は本体の在庫がなく、店頭に並ぶとすぐ消える“幻のスーファミ”状態でした。

入手の決め手は、近隣の家電店、玩具屋に定期的に在庫確認の電話をしていたところ、「在庫あります。1台だけ取り置きできます。ただし取り置きは本日のみ。あと〇〇〇が条件。」という話でした。その日は部活があり、閉店までに自分では行けず、鬼監督に部活を休ませてとは言えない時代。泣く泣く友達に駄賃を払って買いに走ってもらうことに。部活帰りにスーファミを受け取り、コントローラのケーブルをほどき、電源を入れるまでの一つ一つの所作が“儀式”みたいでした。(開封の儀は友達が勝手に済ませてましたが…)

手に入れてからしばらくは、完全にゲーム漬けでした。定番の『スーパーマリオワールド』。次に『F-ZERO』でL/Rの使い方を覚え、タイム短縮に没頭。数年後に『ストリートファイターII』が来て、兄や友人と対戦漬けでした。

RPGではもちろん『ドラゴンクエスト』と『ファイナルファンタジー』にドはまりでした。当時は超マイナーだった『真・女神転生』シリーズも密かにファンで、1人だけ同シリーズが好きな同級生がいて、進捗を照らし合わせるのが日課でした。『真・女神転生if…』に隠しルートがあることを教えても信じてもらえず、暫くして事実と分かったときは「なんで教えないんだよ!」ブチ切れられた思い出があります。出現条件は教えてないけど、ルートの存在は教えたやん…。ところでこの『真・女神転生if…』、アトラスの大ヒットシリーズ『ペルソナ』の原型(女神転生+学園もの)と言える存在です。

その後、1995年ごろにPlayStationやセガサターンの時代が本格化していきますが、筆者にとってのメイン機はそこに至るまでずっとスーファミでした。新世代機のムービーやポリゴンに驚きつつも、今思い出すのは、ファミコン、スーファミのカセット差し込み口。あのカチッという感触は、今でも指が覚えています。

振り返ると、スーファミは「友達と共有できる共通言語」でした。同じ本体、同じソフト。スマホどころか、インターネットもない時代、放課後の数時間を“思い出”に変えてくれた、強い媒介装置だったと思います。あの年明け、友達にお願いしてまで手に入れた一台は、結果的に筆者のゲーム観を形作りました。

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